2008年6月22日日曜日

ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト

アントナン・アルトー著 多田智満子訳

以前、書物の王国シリーズで訳者の多田氏がものした両性具有についての小論を読んで、その明快で噛み砕いた論調に興味を覚えて、図書館で検索してみたらこの小説に行き当たった。私にとってアルトーは難しくて敬遠していたんだけど、この機会にチャレンジしてみました。

14歳でローマ帝国の頂点に君臨し、18歳で自らの親衛隊によって厠で殺されたヘリオガバルス。
名君暴君狂人入り乱れたローマ帝国列伝の中でも、特に興味深い少年皇帝をアナーキストと捉えて詩的に奔放に描き出したアルトーの文章は、思っていたほど難解ではなく・・・いや、たしかに難解なんだけど(苦笑)、博学な考証とそれを覆いつくすほどの想像力に惹きこまれてあっという間に読んでしまった。論考を咀嚼しながら読むのは二度目にして、まずはアルトーの<怖るべき深淵の感覚>に圧倒され、溺れてみるのが正解。

彼は、リズム、歌、香り、そしてさまざまな観念を、深く心に吸収する。――そしてやがて、そのすべてが蝟集し、太陽の血が露となって彼の頭に吸いあげられ、その露の雫が一滴ごとに活力となり思想となる日が到来するのである。

現代で言うところの早発性痴呆症とでもいうべき美貌の皇帝の人格はどうやって形成されたか?年代記フィクション風な小説だったら到底つかみえない彼の深淵を描いたくだりは、まるで極彩色のタペストリーを見せられているかのようで。

ところで、我々は知る必要があり、知ることしか必要でないとわたしは思う。もし我々が愛すること、それも一度で愛することができるのならば、智識は無用であろう。

深すぎる。
本著で語られる宗教はおもに、代々ヘリオガバルスの血筋が神官を務める古代秘教(太陽崇拝の一神教)なんだけど、西洋思想の源であるキリスト教にも勿論深く言及していて、この「カトリシズム」と「知の扉」の関係(というか、闘争?)は、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」の重要なモチーフの一つだったと思うし、なんだか最近その手の話がすごく気になる。読んでも大して理解できないけどさ(爆)。

今日も雨だのう。さて次は何を読もうかな。

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