創作熱に取りつかれて、今日一日ひたすら机にむかってました。
何を作ってたかは・・・また後日♪
ひと休みにTVをつけたら、NHKで須賀敦子の特集をやってました。
もちろんひと休みどころじゃなく、本気見しました。
5年前、酒井駒子さんの挿絵に惹かれて買った「こうちゃん」。
エッセイでも小説でもない、強いて言うなら童話と詩が混ざり合ったような・・・。
短いビットで区切られた簡潔な文体なんですが・・・泣けるんです。
胸がぎゅっと締め付けられるような、美しいものを見ていて切なくなるときの気持ちに似ています。
孤独、清冽、純粋な祈り・・・。
今夜、その作家の生涯をTVで見て、なるほどなあと思いました。
厳しく、強く、美しく。
灯明のような、というと月並ですが、なんというか、夕焼けを見るとき、夜空に星を探すとき、そんな時にふと思い出したら心が強くなれる、そんな感じの人です。
ところで、「こうちゃん」の奥付にある初出本の「どんぐりのたわごと」というのが、一体どんな本だったのか気になっていたんですが、それも今夜の番組で解明しました。
須賀さんがイタリアに住んでいたころ、日本にいる友人たちのために現地での暮らしぶりなどを自ら綴った小冊子だったとのこと。
番組を見ていてふと気がついたんですが、じゃあ、「こうちゃん」を書いたのは、イタリア人の夫と出会い、思索の同志ともいえる『コルシア書店』の仲間たちと充実した日々を送っていたころだったんだ。
なのに、「こうちゃん」の、あの孤独感。
孤独は、かつて私たちを恐れさせたような荒野ではない
私は「こうちゃん」を読むとき、なぜか聖フランチェスコのことを連想するんですが、それはアッシジという地名が出てくるせいだけじゃなく、小さくて清らかなこうちゃんが、荒野に佇み小鳥に説教をする聖人のイメージに合うような気がするからなんです。
別にキリスト教に詳しいわけではないですが、救いを求める心と文学、ひとを感動させるものには美しさがあってこそ、ですよね?
こうちゃん、けれど たとえ わたしが ひとことも言うことばをしらないでも、あなたには わかっているはずです。
どれほど わたしが 朝ごとに あなたを待っているかを―――。
(「こうちゃん」より)
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